essay

 

今年も、タイタン様生誕祭が全国で賑々しく催されていたようだ。

・・・たわごとでスミマセン。


端午の節句生まれである。


「わあー。ぜったい忘れられない誕生日だね!」

初めてわたしの誕生日を聞いた人は必ず同じことを言うが、これまた必ず、揃いも揃って当日はきれいサッパリ忘却の彼方。

仕方あるまい。
世間は楽しいゴールデンウィークの真っ最中なのだから。


そんなわたしのバースデーケーキは、毎年、長崎名物(?)鯉生菓子だ。
けっこうな大きさの練り切りである。

ブツ切りにして、熱いお茶とともにいただくと、これがまあ絶妙に旨いのである。


数年前の五月五日、まだ中学生と小学生だった甥姪が、母(わたしの姉)とともに我が家にやってきた。

手土産は鯉生菓子。
「切って、切って~」
甘えた声で渡してきた。


誕生日おめでとうの言葉はまだない。
食べる時に言うんだな。
うん、たぶんそうだろう。


例のごとくブツ切りにし熱いお茶とともに出すと、美味しいねえのコーラス。

「子供の日ならではだよねー」
「季節のお菓子は食べなきゃねー」
口々にのたまうのだった。


が、お祝いの言葉が出てくる気配はない。


「キミたち」

無粋と分かっていながら話しかけずにはいられない。

「わたしになにか言うことを忘れていやしないかね?」


「・・・あっ!」


わざわざ子供の日限定のお菓子を持ってきた「家族」に本気で忘れられていたのだった。



姉の部屋の屋根裏に侵入者がいる!


最初は気配だけだった。
意識して耳をすましていると、かすかにチューチューと鳴き声がする。

・・・ネズミ・・?
いや、うちの前の側溝にはイタチが棲んでいる。
ひょっとしたらあのイタチが、屋根裏に入り込んでいるのかも・・・。


気になりながらも何もできず幾日か経つと、鳴き声はチューチューではなく、ハスキーなチュンチュンに変わってきた。
小さな羽音が聞こえることもある。

鳥か。
なんの鳥だろう?
ツバメが巣を作るのは軒下だから違うだろうし、スズメがわざわざ屋根裏で子育てするなんて聞いたことがない。
季節的にはカチガラスという可能性もあるが、あれは渡り鳥だから巣作りはしないか。

あとは、ハト・・・
・・・ハトだったら困るな。

知ってる?
ハトの雛は、親鳥よりでっかいのだ。
プリッと出しちゃうフンだって、やっぱりでっかいだろう。
屋根裏にそんなもの貯められちゃったら、こりゃ堪らん。


外から確認するには玄関を出てグルリと家の外周を半分まわらなくてはならず、親鳥の声が聞こえてから走って出ても、その姿を目撃することはできない。

それが、今朝。


バタバタバターっ!
チュンチュンっ!!
キーキーっっ!!!


明らかに何者かに襲われている。
それこそ、イタチか、ヘビか?

しばらくすると静かになった。


・・・死んだんじゃないだろね?
朝の支度をしながらも気になるわたし。

時間の惜しい朝の出掛けに、少し耳をすましてみた。


すると、元気なチュンチュンという声が聞こえるではないか。

良かった、無事だったんだね。


・・・って、良かーないわ!

そこ、屋根裏だから!!


お願いだから早く出てってくれーっっ(><)



カップヌードルごはんって、あるよね。

アレ、食べてみたくて買ってみたんだけど、帰宅してよく見たらカップヌードルやきそばって書いてあった。
米粒にしては どーも安すぎると思ったんだよね。
98円なんて粉物みたい~なんて言ってたら、紛れもなく粉物だった。


じつはカップ麺がちょっと苦手だ。

待つことに3分使うんだったら、袋麺作ったほうが断然おいしいと思う。

3分といえば、なんなら ウルトラマンだって変身して思うさま闘ったあげく、エネルギーが切れるくらいのスパン。
カラータイマーをキッチンタイマーとして使える、そのくらい長いのだ。


まぁ御託を並べてみたところで、買っちゃったものは仕方ない。

素直にお湯を入れて待つことにした。
3分きっかり。

でね、湯切りしてみたら、麺がふやふや。
解けてんの? ってくらい。


パッケージを確認してみたら、待ち時間1分て書いてある。

なんと、ウルトラマンも闘いの合間で腹ごしらえ可能!


あー。
時代の進化についていけてないわーと頭をかかえた、タイタンなのであった。



生前、父は困っていた。

左の耳掃除をし始めると、必ず咳き込んでしまうのだ。

耳掻きはあれで結構な硬度があるから、咳き込んだ拍子に鼓膜を傷つける可能性もある。
柔らかければいいのかと綿棒を突っ込んでみても結果は同じで、これでは思うように耳掃除もできやしない。


そんなことを思い出したのは、3番目の姉(以降、姉3)が耳掃除をしていたからだった。

なんと姉3は、右の耳を掃除し始めると咳き込むのだ。


私  「・・・いつから?」

姉3 「え? げほっ むかしからだよ。げほげほ」


ああ、こんなところに、紛れもない父のDNA。

いつだったか、高等教育を受けたというチンパンジーからのメールが届いたことがある。

 「信じていただけないかもしれませんが、わたしはチンパンジーです」

もちろんいわゆる釣りメールなのだが、意表をつく面白さに、思わず続きを受信してしまいそうになった。


感心できることではないが、悪いことをする側もあれやこれやと手段を変えてくるものである。
このメールのようなアイデアが出せる人は、おそらく堅気の道でもかなりのアイデアマンとして企業の第一線で活躍できたことだろう。

どうせなら正しく才能を使えば良いものを。


ちなみに先日も、似たような釣りメールが届いた。

曰く、「友達いますか?」


やかましいわっ (`・∧・´)


おととしのことだったろうか。

数年前に他界した父から電話があった。


「もしもし、お父さんだけど」


「・・・どした?」

「わき見運転してて、事故を起こしちゃったんだよ。なんとか示談にしてもらおうと思うんだけど、いま100万円くらい都合つくかな。まだ銀行開いて・・・」

「えっ!」


わたしは『お父さん』の声に、少々食い気味に声を上げた。


「天国って、運転免許なくてもクルマ動かせるの!?
 てか、天国の沙汰も金次第なの!?」


ツー、ツー、ツーー・・・

『お父さん』は電話を切ってしまった。


我が家ではむかしから父親を「ちち」と呼び、母親を「はは」と呼ぶ。

そしてちちは、自分のことを「わし」と名乗る人だった。


だが、もしかしたらあの世できちんとした言葉づかいを再教育されたのかもしれない。


100万円用意できなかった『お父さん』は、ちゃんと事故の相手と交渉できたのであろうか。

あれから時が経ったいまでも、ときどき心配になってしまうタイタンなのであった。


さて、それほど神様に嫌われてしまったわたしが次にチャレンジしたのは、厳島神社である。
といっても言いだしっぺは義兄であり、わたしと神様との確執を家族はイマイチ信じていなかった。


ええ、この旅までは。


この時もお天気に問題はなかった。
しかし、問題はわたし自身に起きた。


高熱だ。


なにが原因なのかは分からない。
医者も首をひねる状況での高熱が、出発の二日前から続いていたのだ。

駄菓子菓子。

この旅は宿泊である。
高熱に浮かされているわたしを独り残していくわけにもいかないと判断した家族は、わたしを後部座席で寝かせて連れていくことにしたのである。

晴れわたった休日、車窓からの景色を楽しむこともできない旅。
ふぅふぅと荒い息を吐き続けるわたしを振り返り、姉が呟いた。
「神に結界を張られてるって、こういうことなのねぇ・・・」
「なんの冗談かと思ってたけど、こうして目の当たりにするとびっくりだよね・・・」


びっくりはわたしのほうである。

この旅を持ち出されたとき、わたしは11月を強く希望した。
シルバーウイークで連休が見込めるという理由で全員賛成のうちに日程は決まったが、わたしが11月を推したのには他に理由がある。

11月は神無月だから、である。


神無月。
それは日本中の神様が出雲の国に集合する月。
つまり、出雲以外の神様は、11月のうちはホームを留守にするのである。

安全に行くなら、この月しか考えられなかった。


それなのにである。
それなのに、これほどまでに結界が強力に張られていようとは。


・・・神様、わたしアナタになにかしましたか・・・!


こんな思いをしてまで厳島神社へやってきたわたしに対するトドメは、凶のおみくじであった。

とっとと帰れ

神様の声がどこからともなく聞こえてきたのは、気のせいではあるまいと、いまでも思っているタイタンなのであった。

「出雲大社に行こうよ!」
九州にUターンしてきてから、高校時代の友人たちと何度プランしたか知れない。

しかし毎回、計画が本決まりになってくると、誰か一人が入院したり、どうしても仕事の都合がつかなくなったり、クルマを出す担当の人間に不都合が出るなど、どういうワケか頓挫してきた。


思えば東京に住んでいる頃、何度も何度も日光東照宮へ行こうと計画したが、結局果たすことができなかった。
大阪に住んでいる頃も、そう遠くはないのだからと伊勢神宮に行こうと計画するも、取引先会社の尻拭いで急な休日出勤になってしまったりした。


考えてみれば、有名な神のおわす聖地には、ことごとく嫌われてきたのだ。


友人曰く、「それは神様に嫌われてるんだよ。来るなーっ!て結界張られてるってことじゃない?」
カチンとくるが、こうも続くとあながち間違った考え方でもないような気がするのが不思議である。


そんな神様から嫌われているわたしが、とうとう出雲大社へ参拝できる機会に恵まれた。

誰かと一緒に行くから都合が悪くなるのであって、独りで行けばいいんじゃないかと思い立ったことがきっかけである。

北陸に住む友人に連絡をとり、それぞれがドライブして出雲大社へ向かい、現地で待ち合わせることにした。
約束した手前、何が何でも出雲大社に辿り着かねばならぬ!

クルマのメンテナンスは万全。
季節は晩春、週間天気予報も降水確率0%だ。

そうだろう、そうだろう。
そもそもわたしは晴れ女なのだ。


念のために前もって言っておくが、わたしは方向音痴ではない。
地図を読むのも得意だし、初めての道でも困ったことなどない。
それゆえにわたしは、カーナビなどというものを必要とはしていないのだ。

通常は。

それなのに、道中は山口県に入るなり何度か道に迷った。
迷うわけもない大通りでも違う道に入り込んだりした。
夜の山道で地図にない標識が出てきたときの焦りは尋常ではなかった。

そんなワケで、島根県に入ったのは深夜である。
こんなトラップもあろうかと、前乗り予定にしていて本当に良かった。
ビジネスホテルに入り、TVをつける。
天気予報は快晴、雨の心配はない。
わたしは安心して、疲れた身体をベッドに横たえた。


それが、だ。

友人と合流した翌日、雲ひとつない空のした出雲大社に到着したとたんの、土砂降り!

いやいや、この程度のことは想定内。
クルマに積んである傘を手に、参拝する。
参道に到着すると、横殴りだった雨が、強さはそのままに真っ直ぐ落ちはじめた。
大社までの並木に、さああーっと降り注ぐ雨、雨、雨。


それは荘厳という表現がぴったりの、いままで見たことのない神々しい風景だった。


「これはきみ、清められてるね」
友人が言った。

「・・・そうみたいだね」
いましがたまで横からぶつかってきた雨粒にびしょ濡れの姿で、わたしは答えた。


もう、さすがのわたしも疑いようがない。
わたしは間違いなく、神に結界を張られているのだ。



仕事で、長崎は浦上のとある交差点で信号待ちをしていた。
目の前には、長崎市内には珍しい自転車に乗った高校生くらいの少年がふたり。
ふたりは同じ方向、車道むこうの歩道を見つめていた。

「外人だ」

少年の言葉を耳にし、わたしも同じ方向を見遣る。
そこにはたしかに、ブロンドとブラウンヘアの外国人男子が、やはりふたりで信号待ちをしていた。

しかし、ここは長崎。
しかも進行方向の少し先には平和記念公園があるような土地柄である。
肌の色を問わず、外国人の姿はうっかり声がもれてしまうほどのレアキャラではない。

いったいなにがそんなに気になるのか。

わたしは何度も、目の前の少年たちと車道向こうに立つ外国人男子を交互に見比べた。


「かっこよかね」
「うん」

ふたりは顔を見合わせ、そう言った。
そして、後ろに人が立っていることに気づいていないのか、大きな声で続けた。


「いいなあー。おれ、外人になりてぇよ!」


わたしは意表を突かれて一瞬固まってしまったが、次の瞬間には出てくる笑い声を止められなくなってしまった。
ふたりはハッとした顔でわたしを振りかえった。

「うん、かっこいいよね(笑)」

ふたりはとても可愛らしい、はにかんだ表情でうなづいた。


信号は青になり、少年たちは自転車のペダルを踏み込んだ。
車道向かいの交差点では、話題の的である外国人男子たちが颯爽と歩みだした。


春らしい昼下がり、風のようにさわやかな短い時間を微笑ましく反芻する。

ここいらの少年たちはまだまだ純朴なんだな。
純朴かぁ。
いい響きだなあー。

台風のような突風を連れてきた春の低気圧。

その風にあおられて、玄関わきに置いてあったプランターラティスが壊れた。
もう20年ほど前にわたしが工作したものだ。

長いこと雨風にさらされながら頑張ってきたからそろそろ寿命かと思いきや、いやなんの、我ながらよく作り込んでいる。
壊れたのはラティスとプランターをつなぐ釘打ち箇所だけで、本体は木が欠けてすらいない。

そんなわけで、修繕も簡単に済ませることができた。

頑張って生き延びたご褒美にと、春らしい装いにすべく、かわいらしいペチュニアを寄せ植えしてハンギング。
年季は入っているが、それはそれでなかなか味のあるプランターラティスではないか。
(自画自賛)
ペチュニアは栄えてくれるから、すぐにあふれるようにいっぱい花をつけるだろう。

そんな日を妄想していたら、どうだろう、またも風が強くなってきた。
風を直接うけない壁角に移動して、プランター部分に物を入れて重心を調整する。

傷ついたラティスも、植えこまれた花も、釘打ちで前かがみの姿勢を続けたわたしも、突風事故はもうご勘弁なのであった。

前述した目的の1つ目と3つ目は、すこし倒錯してはいたが故人を懐かしむ思いのようだった。

2つ目の目的は、彼のたったひとりの妹との遺産トラブル。
この話になって初めて、彼の両親が鬼籍に入られていることを知った。
わたしの知る彼の家族は人柄の良いばかりであったけれども、嫁という立場からは違った面が見えるのかもしれない。

彼女の目的の最たるものは結局、4つ目の「自分が浮気相手だったのか」という点だったように思われた。


『あなたの名前は覚えていました。つきあって2年目に、彼の手帳に大事に挟んであるあなたの情報をみつけてしまったからです。それから・・・つきあいはじめた頃、ちゃんと別れなければならない人がいると告げられてました。ああ、この人なんだなって』


ずいぶん大事にしてるのね!と、当時は大ゲンカに発展したそうだが、わたしの苗字があまりに珍しかったため、忘れられなかったのだという。
だからこそ、SNSでわたしを見つけるのも容易かったのだそうだ。

それらを乗り越え丸4年つきあったのち逆プロポーズで結婚したそうだが、彼の実家へ挨拶に行った際、彼は「3年つきあっている」と両親に言ったという。
「4年だよ」と訂正したが、彼はかたくなに「いや、3年だ」と譲らなかったらしい。

『もしかしたら、その1年間は、あなたとダブっていたんじゃないかとずっと気になってたんです。1年間、わたしは浮気相手だったんじゃないかって』


結論から言えば、彼女の懸念は事実であった。

彼がわたしにハッキリと別れを告げられずうやむやにしていた期間。
女性の影を感じながら、彼の言葉で別れを知りたかったわたしの苦悩の期間。
それが、その1年間だった。
年度末を迎えて彼が転勤することになり、同じタイミングでわたしは引っ越しのため住所と電話番号が変わった。
それにより、お互いに連絡することができなくなって、現在に至るのだ。

だが、今更それを彼女に知らせることになんの意味があるだろう。
彼女は若くして夫を失い、幼い息子を女手一人で育てている。
思い出にしていかなければならない故人に関して、わざわざ嫌な思いをさせる必要などどこにもないのである。


『彼の勘違いだと思いますよ』
わたしはそう打ち込んだ。

『彼がわたしに最後に語ったことは、次の年度には佐賀に転勤になるということでした。引っ越しとともに連絡できなくなって、それっきりです。だからダブっていたということではありません。
長い遠距離恋愛にケリをつけて、あなたという生涯の伴侶の手をとった。可愛い子供にも恵まれて、短い人生ではあったかもしれませんが、彼は間違いなく幸せだったと思います』


『ありがとうございます、そう言ってもらって胸が軽くなりました。あなたは幸せですか? まだ彼のことを思っていますか?』

『彼と別れなければ知ることのなかった人と巡り会えました。彼と同じくらい幸せですよ。あのひとのことはそれほど・・・いまは思い出すことはありません』
子育ては大変だけれども心を強く持って、息子さんだけでなくあなたが幸せになることにも敏感でいてくださいね・・・そう追記した。


翌日、彼女から最後のメッセージが入った。

『わたしとあなたはダブっていないと昨夜は言ってもらえましたが、やっぱり1年間はわたしが浮気相手だったのだとハッキリ分かりました。
彼の転勤先が佐賀だったのは本当のことです。
それまではただの同僚で、ずっとわたしの片思いみたいなもので、転勤が決まってもわたしの告白にうんとは言ってもらえませんでした。
わたしが一方的に佐賀に通って4年間。そのうちあなたという存在を知って、それでもつきあい続けて、その後の転勤を機にわたしがプロポーズして結婚したんです。
彼は転勤になったあの時点で、まだあなたと別れるつもりはなかった。
そのことがハッキリしました。』

いくつかの目的を果たした彼女は、その後すぐにそのSNSを退会した。


旅行で彼の故郷を訪れる機会もある。
彼が話してくれた子供の頃の思い出、彼に連れられて見た風景を思うと、すこし胸がせつなくなる。

いまは、ただそれだけだ。

昨年のことであったろうか。
某SNSに、見知らぬ女性からの友達申請があった。
まったく心当たりがなかったのと、SNS上でのやりとりもなかったため
わたしはその申請をスルーした。

それから2ヶ月後、懐かしい名前からの友達申請が飛び込んできた。
なんと、16年前に別れた元カレからのものだ。
心が揺れなかったといえば嘘になるかもしれないが
わたしはこの申請もスルーし続けた。
いまさら繋がりを持つことの意味がつかめなかったからだ。

そしてさらに1ヶ月後、最初に申請をスルーした女性からメッセージが入ったのだ。
『突然すみません。TSさんを知っていますか?』
TSとは、件の元カレの名前である。
気がついていなかったが、メッセージは言葉と日付を変えて3度届いていた。
迷った挙句、わたしは返信することを決めた。

『滅多にない名前ですので、あなたのおっしゃるTSさんはわたしが存じているTSさんだと思います』

リプライはすぐにあった。
『タイタンさんは、TSさんの元カノさんですよね?』
『失礼ですが、どのようなご用件でしょうか』
『あ、すみません。わたしはTSの妻だったのです。2年前に彼が亡くなるまでは』


転勤族の元カレからは、つきあって間もない頃にプロポーズされたものの、わたし側の事情で受けることができず、長い遠距離恋愛に突入した。
つきあいも10年が経った頃、当時アナログだった電話回線が混線したことをきっかけに、彼の周辺に女性の影が見えはじめた。
その頃もわたしは結婚できる状況になかったため、彼が別れを決めるのであればそれを受け入れる心づもりで、彼がそれを言い出す機会を待っていた。
だが結局、彼からハッキリとした別れの言葉を聞くことはできず(他にもいくつかの問題はあったが)フェイドアウトしたというのが簡単な流れだ。

メッセージ欄で言葉を交わして分かった彼女の「会話の目的」は、このようなことだった。
●結婚前の彼の姿を知りたい。
●彼の親族には最初から嫌われていて、いまも遺産についてトラブルを抱えている。
●できれば同じ男女関係だった人と彼のことを語り合いたい。
●自分が浮気相手だったのか、真実が知りたい。